悲しみをぶっとばせ

[Let's Spend The Night Together] ランニングとテニスをしている最中に考えたこととか。

悲しい歌

かなりショックなことがあった。

それはたぶんこれを読んでいる人が想像したそのことだし、人にとってはどうでもいいことなのだけれど。

それでごはんが2日間くらい食べられなくて、そのあと何人かの友人が代わるがわる会ってくれて正常にごはんが食べられるようにはなったのだけれども、今度はやけ食いがやめられなくて平日が終わった。

あまりにショックだったので、職場にいつもと違う、ちょっと気に入っている感じの服を着て、ちゃんと丁寧にメイクして行くようにしたら、顔がむくんでいるのがすごく情けないような気がして、絶対に痩せたいなってて思った。

それで2年くらい行ってなかった顔の何かに行って、ネイルの何かもしてもらって、これくらいすれば準備オッケーって感じがする。

正常な食事をして、痩せるってことの準備だ。

そこでやっと運動っていうところに私は戻ってくる。

進めなまけもの

素人のランナーなら、まずは目安は月間走行距離50kmと聞いて、そしてちょうどその話を聞いたとき、月に50〜70kmくらい走っていたので、それ以来なるべく月に50kmは走りたいと思っている。
でも7月に50kmちょっと走ったものの、8月は24kmだし、9月は34kmだった。
10月は46kmで、もう月50kmは無理なのかな、と毎月思っていたけれど、こうやって書き出してみると毎月10kmずつ伸びている。
いつも思うのは、月に何kmと決めてその距離走るのは結構厳しいものがあるのだけれど、「今日は5km走るぞ」と決めると、途中で苦しくなったとしても、なんだかんだ5km走れてしまうということだ。
私は自分の仕事でかなりいろいろ嫌なことがあって、今の仕事を続けられるかも正直なところ自信がない。
でも、ランニングのように、先のことはともかく、その日にやることを決めるだけならとりあえずはやってゆけるのではないかなと思った。
もちろん先のことを見通すということは大切だけれども、毎日毎日辛くて仕方がなくて、もう生きることも辛いということまで考えがちで、それは今の辛さというより今後への不安なのだから、まずは今日のことを考えるようにしたい。

我慢

久しぶりに昼間、外を走った。

意識して走っているときはきちんと腕を振ったり、呼吸に気をつけたりするのだけれど、少しすると別のことを考えてしまって腕とか呼吸がおろそかになる。

ジムのトレッドミル(前にトレッドミルって何? って思って調べたらいつも使ってる走る機械のことだった)では割と意識するし、だから飽きてくるんだと思うけど、なぜか屋外だと走ることに集中できない。

景色のことを考えたり、全く関係のないことをぼんやりと考えたりしてしまう。

そういう境地は快感で、それがなかったら長い距離は走れないと思うのだけど、5kmくらいなら集中して走りたい。

その集中力っていうのも訓練すれば鍛えられるものなんだろうか。

走るとき以外にも言えることだけれど、集中力と忍耐力っていうのが私には足りないなって思う。

強い気持ち・強い愛

昨晩、腹筋を鍛えたいな、と唐突に思った。

昨年の12月には、腹筋が割れるとまでは行かなくても、力を入れなくても腹筋がついているのがはっきりわかるおなかだった。

もともとはスカートの上におなかの肉が乗るような体型で、まあでも不摂生しているわけでもないしそれが普通だろうと思っていた。

というか、それが当たり前だったから腹の肉のことなんて考えたこともなかった。

でも昨年の9月に駅のそばに引っ越し、それに伴って家の周りを走るのは防犯上危険だと思ったので、歩いて5分のところにあるスポーツクラブに速攻で入会し、走るために入ったのにいつの間にか筋トレをするようになってから、今までの腹は肥満レベルだったんじゃないかって気づいてしまった。

スポーツクラブのお兄さんに家でできる体幹トレーニングなんかも教えてもらって、ジムでも筋トレ、家でも筋トレをしていたら、いつの間にか腹の肉がなくなり、実家に帰るたびに腹を自慢していた。

そういえばそのときはランも順調、一人暮らしなのに食事は3食ばっちりきれいに作って、しかもおやつは食べず、3食のうち1食は豆腐にしていた。

それだけやれば筋肉がついてしかるべきだって今は思う。

でも、今は全然良い腹筋ではない。

仕事が忙しいし、ものすごくストレスがたまって、あまりにストレスが溜まりすぎて太ももとか切ってしまう。

とはいえ、去年だって9月から始めて12月には、見せびらかしたいおなかになったのだから、また腹筋をつけるのは無理ではないと思う。

腹筋があるのは心にもとても良い。

腹筋がついているだけで、誰だって倒せるような気分になるから、かえって誰にでも優しく振る舞える。

自分の身体の中心にある腹を意識するだけで、何言われたって(一応ふーんって聞きながらも)、でもあなたは私の腹筋にはかなわないでしょ、私が勝者よって思ってスルーできた。

まさに、弱気を助け、強気を挫くって感じだった。

やっぱり気持ちを強く持って健やかな生活を送るためには、腹筋のような目に見える筋肉が必要だ。

孤独のあかつき

またお花を習いたいなと思って、自分が高校のときに部活でやっていた桂古流のお教室を調べてみたら、案外通えないこともない場所と時間にお稽古があり、本当に習い始めようかなと一瞬思った。

でも、よく考えたらいまテニスを習っているだけでも結構いっぱいなのに(だって週休2日のはずなのに、実質週休1〜1.5日あればいい方って感じだし、自分のせいだけどとにかく通勤に時間がかかりすぎる)、これ以上習い事は増やせないし、よく考えたら短歌の結社にも入りたいと思いながらそのままなんだよなと思った。

テニスを辞めることを思ったら本当に絶望的な気持ちになった。

この前、仕事が半日で終わって、そのあとオートテニスをしに行ったときにも思ったけど、テニスの良いところはひとりではできないところだ。

オートテニスも面白いけれど、それは私がテニスを大好きで、しかもほかのひとたちと一緒にテニスしたときにもっと上手に、楽しく出来るようにするための練習だから面白いと思えるのであって、永遠にひとりだったらそう思えない。

ひとと何かを一緒にやるのはどうしても面倒な面もあるけれど、これが歳を取ってきたということなのか、最近、ものすごく何かをひとりでする時間がもったいないって感じる。

ランニングだって、練習はひとりだけど、ランのことを報告したいひとがいたり、大会でほかのひとと走る興奮というか何かが身体中に満ちる感じがあるから続けられるんだと思う。

この前、友人に「自分のためにしかならないと思うと、何もかもどうでも良くなっちゃう、食べることとか」って話したら、「もっと自分のために生きてください」と言われたけど、どうしても自分のためを思って何かをするのって本当に難しいと思う。

ひとりがもったいないと感じるのはそういうこととも関係しているのかもしれない。

蹴っ飛ばせ!

1ヶ月に最低50km走ることを目標にしているのだけれど、今月はそれに届かなかった。

そのやましさや不安が影響しているのかもしれないし、昨晩は薬を服用したにも関わらず、ワインを瓶の3分の1くらい飲んでしまったせいか目覚めがなんとなく悪いからかもしれないけれど、ともかくなんだかむやみやたらと寂しくて、めそめそ(まさにこの言葉がぴったりだ)泣いていた。

雨が続いていたり、スポーツクラブがメンテナンス休館だったりして、ここ2週間走っていなかったので軽く走るだけにしようって決めた。

5kmくらい走りたかったのにもう家を出たところから涙が止まらなくて、声を出さずにだけれどばかみたいに泣きながら走った。

あまりに辛そうな顔をして走っていたからか、知らない自転車のおじさんに(もしかしたら一緒にソフトボールをやったことがあるおじさんかもしれない)「がんばるねー」と声を掛けられて、笑顔ではいって答えた。

普段そんなことはないのだけれど、呼吸を意識しないで走っていたので脇腹が痛くなってしまい、途中で休んだり、これといって特に何でもないけれど、途中で休んでケータイをいじったりした。

家と職場が遠いのが本当に辛い、しかもひとり暮らしだし、という考えてもどうにもならないことを繰り返し繰り返し考えて泣いていた。

そうしていたら、折り返し地点でなんだかそういうことが急にどうでも良いような気分になり、家に着く頃には、やっぱり、ランは、最高だ、って思っていた。

汗をいっぱいかいて、いつの間にか気分がさっぱりして、これがデトックスだって実感した。

帰りに考えていたのは、私の影響でスポーツジムに入った人やランニングを始めた人たちのうち誰も続いていないということで、一緒に大会に出る人がいなくて寂しく思う一方で、そういう人たちのことを考えると、実はすっごく苦手だと思っていたランをまる1年続けたっていうのは結構自分としては偉いのではないかということだ。

というか偉いぞ。

でもやっぱり誰かと一緒に大会に出たかったけれども。

走っているとき突如、10月くらいに開催される大会があったらエントリーしたいなってひらめいた。